CATEGORY:森下仁丹看板
2009年04月09日
仁丹町名表示板 下鴨シリーズ・拾遺
shimo-chanさんに宿題をいただいての探索行でした。
「上京区下鴨宮﨑町」 "さき"が【崎】じゃなくって【﨑】なんですね。
じっ~と見てて、今気付きました。
数少ない"縦書き上京区"の仁丹看板です。
看板のお家の方が出ておられたので、仁丹看板話でプチ盛り上がりしました。
元々はここに付いていた看板ではないとのことで、
実はここから数軒南にあった長屋に付いていた看板とのことでした。
譲り受けた経緯をお聞きしたところ、
その長屋が一年半位前に取り壊してミニマンションに建て替えることになったらしいのです。
以前から、その長屋の持ち主さんには、もし長屋を潰すことがあったら、
仁丹看板を譲ってもらうように約束されていたそうです。
町名も同じ"下鴨宮﨑町"ですし、全然OKですよね。
下鴨は枚数が少なく、特に縦書き上京區は非常に珍しいことをお伝えすると、
引き継いで設置できたことを、とても誇らしく嬉しそうになさっていました。
★それでそれで、今回オマケというか、サプライズのお土産看板も見つけてしまいました。
なんと、3枚目の「上京區下鴨松之木町」の看板です。
やはり裏道のなかの一軒に付いていましたが、
水谷賢司さんが探索された時は、外されていた看板ではないかと思います。
その後、再設置されたために、巻末の一覧には数えられていませんね。
平成の復活・仁丹町名表示板 「船鉾町」を発見
船はし屋さんで、仁丹町名表示板!
京都まち歩きマップ
復活仁丹町名表示板・第一号 京都市役所に設置!
京都仁丹樂會ミーティング・仁丹木製表示板「本町十七丁目」
「京都町名琺瑯看板プロジェクト」始動
船はし屋さんで、仁丹町名表示板!
京都まち歩きマップ
復活仁丹町名表示板・第一号 京都市役所に設置!
京都仁丹樂會ミーティング・仁丹木製表示板「本町十七丁目」
「京都町名琺瑯看板プロジェクト」始動
看板に歴史あり!!ですね。
おまけに松之木町3枚目ですか。
さっそく行かなくちゃあ。
そういう話を聞くのが好きなもので、ついつい。
ハイ!お土産を見つけてしまいました。
これもshimo-chanさんのお陰なのです。
久々にアハ体験してしまいました。
やっぱりここまでやらなくっちゃ、本物のフィールドワークとは言えないでしょうね。
それから、
>なんと、3枚目の「上京區下鴨松之木町」の看板です。
エ~、また行かなくっちゃならないんですかぁ~。
つらいような、嬉しいような、、、
>エ~、また行かなくっちゃならないんですかぁ~。
まぁまぁそう言わず、気候もいい時期ですので、行ってみて下さい。
ほんとは好きなくせに~
>ほんとは好きなくせに~
はい、そのとおりでございます。
この土日に行けたらと、朝の通勤電車の中で、文庫本を読むかのように、地図を眺めてニヤニヤしていました。
500円の市バス一日乗車券でウロウロしようかと。
>はい、そのとおりでございます。
やっぱり~
>500円の市バス一日乗車券でウロウロしようかと。
これは、きめ細かなスペシャルツアーの予感ですね。
また、楽しい情報があったら、教えてくださいね。
おかげさまで1枚ゲットさせていただきました。
情報ありがとうございます。
でも、この前歩いた道でした。逆方向に歩いていたら気が付いたかも?しれませんが。
>これは、きめ細かなスペシャルツアーの予感ですね。
はい、ついでに水谷さんのリストに載っている、高野蓼原町、田中馬場町、さらには今熊野椥ノ森町、泉涌寺雀ヶ森町も探索しましたが、どうやら時すでに遅しといったところです。
こういう時の仁丹探しってほんと疲れますよね。
>あると分かると落ち着かず、本日、行ってしまいました。
おそらくそうなるだろうと思っていました。
>この前歩いた道でした。逆方向に歩いていたら気が付いたかも?
私も北行で来て、もしやと振り向きざまのサプライズでした。
>高野蓼原町、田中馬場町、さらには今熊野椥ノ森町、泉涌寺雀ヶ森町も探索しましたが・・・
高野から泉涌寺とは、東面をほとんど総ナメですね。
shimo-chanさんが言うように、
私も、ピンポイントで攻めて無い時は、徒労に終わった感が充満して、ほんと疲れますね。
時間効率を考えると一点狙いですが、
やっぱり、寄り道した方が意外に疲れず、面白い発見につながるみたいです。
辞書を引くのと同じじゃないでしょうか。
デジタル辞書で目的の箇所だけ見るのと違って、
紙の辞書で、目的の語句の前後や、そこにたどり着くまでに、他の語彙も見たりして、
その寄り道が好奇心をかきたてて、また元気モリモリ、っていう感じです。
水谷さんのリストは、お助けチェックリストととして活用していますが、
あまりその情報を意識すると、「ここのエリアは無い場所だから・・・」、みたいな先入観が着いてしまって、
視野狭窄というと大袈裟ですが、自分の観察力が粗くなってしまう様です。
だから今は、最小限の活用に止めています。
まあ、ここにコメントをいただく皆さんは、その域をとっくに越えた方々ばかりですけどね!
また宿題出して下さいね
>私、伏見は網羅的にやっていませんが、今度やってみようかしらん。
ハイ!やる価値ありますよ、伏見は。
面白いと思います。
話が変わるのですが、高校の友達の一言から、
最近、路面を見る癖が出てきました。
もう上と下を同時に見ながらの、街歩きがきつくなってきました。
路面の方は、あんまり深くしないつもりですが、これも興味の赴くままなり・・・
路面の種明かしは、今晩アタリBlogアップしときます。
仁丹常連組の方々なら、路面でピン!と来たか、
既に探索経験済みかもしれませんね。
ではでは
先日、下鴨中通を走っていたら、
南側(路地の入口)にあった「下鴨松之木町」
の看板が消滅していました。
明らかに、盗難です。看板だけが消滅していたからです。
北側の看板は、サビが出ていたので、盗難にあわなかったのでしょう。
盗難にあった看板は、状態も良かったので盗られたのでしょう。
これで、貴重なタテがき上京区の看板が一枚減りました。
悔しいけれど、残念です。
これで、僕の知っている昨年末からの盗難看板は3枚になりました。
今年もよろしくお願いいたします。
2009年も町家はどんどん減っていますし、
その影響で仁丹看板も着実に減っていますね。
消滅した看板が、オークションや古物商のサイトに出る頻度も早くなったように思います。
新年早々、暗い話になってしまいましたが、
新顔の発見ネタなどありましたら、宜しくお願いいたします。
昨日,東山区役所の裏のほうにあった,「下京区 松原通大和大路東入(樋口小路) 轆轤町」がきれいさっぱりなくなっていました。家の1階のモルタルの壁に付いていたやつです。そして,その跡も,ねじ穴もくっきりと。
もう1枚のは確認できていません。
盗難か? はたまた保存か?
で,昨日の写真と以前のとを比較して分かったのですが,昨日のは看板のすぐ右横に「東山区轆轤町」なる京都市広報板が設置されていました。もしかして,その関連で取り外しがされたと思うのは,楽観的過ぎるかな?
観光客も多いエリアですし,東山か下京かどっちやねん?となることを危惧したとか。
もう仁丹探しも終焉と思っていたのですが,それでも予想外に2枚ゲットしてしまいました。やっぱり,ないと思っている地域でも,そして以前来たとこでも,改めて丹念に歩かなくてはなりませんね。
消滅情報が続きますよね。
寂しい限りです。
日々、地道な活動でのささやかな収穫、また楽しみにしてます。
やはり、消滅していました。
この2枚の轆轤町の看板、どちらも未発見だったのですが、
昨年の8月に探索した時には、既に消滅していました。
最近、手の届く範囲の看板の消滅が目立ちます。明らかに、盗難ばかりです。
仁丹看板は、そこの場所にあってこその価値のある物ですから、盗難は悔しいばかりです。
ネットは心ある人ばかりが見ているのでは無いとつくづく感じました。
私の言う”轆轤町のもう1枚”というのはレトロな文房具屋さんの2階だったのですが,,,
あれば気づかなかったはずはないと思う一方で,まさか2階のまで盗まれるとも思えないのですが,,,不思議ですね。
もう1枚の轆轤町の看板、僕の思い過ごしでした。
丁度、看板を剥がした跡があったので、それを勘違いしてました。
もう一度、探索してみます。
でも、あの看板を剥がした跡は何やったんよろう…
釘もしっかり残ってたのに。
東山区は、祗園や繁華街を含んだ行政区ですけど、
その一部のエリアを除けば、比較的昔ながらの町家が沢山残っているところでしたが、
ここのところ、変化の波が来ていますね。
それに伴って、仁丹看板も姿を消しているようです。
轆轤町のすぐ西側にある弓矢町で、昨年の夏、祇園祭の鎧飾りを拝見しに言った時のことでしたが、
そのお飾りをされている町家のおじいさんが言ってはったのが、その町家の二階の軒にも仁丹看板が着いてらしいのですが、知らん間に無くなってしもてた、とのことでした。
仁丹看板は、本来の持ち主がハッキリしないところにも、難があるんでしょうね。
森下仁丹さんは、口が裂けても自社のものとは言えないですよ。もしそんなこと言ったら、莫大な設置料を支払わなければならなくなるでしょう。
かといって、看板の着いたお家も、自分の物やとは胸を張っては言えなくて、おじいちゃんのそのまたおじいちゃんが元気だったころ頃から着いてて、公共に益をもたらす大切な看板を、内とこが、よそ様から預かっている、そんな心持でとらえていいはるんじゃないかと思うんですね。
ただ、恥を忘れてしまった現代の日本人達なら、なんの躊躇もなく自分の物!と主張するんでしょうね。
ご存知でしょうが、レンガ造りで渋谷街道のトレードマークだった、村井たばこの旧馬町工場跡<関西テーラー、東山IVY>も取り壊されましたし、
東山区内の5小学校が統合され、東山警察署(旧松原署)も移転します。
東山区も、どんどんと様変わりしてゆくのだと思いますが、住み良い、仁丹看板も沢山生きている町になって欲しいものです。
本日、探索してわかった事を少々…
轆轤町の1枚ですが、
レトロな文房具屋さんの2階と言う事なので、
Google Mapで見てみたところ、画像には文房具屋さんはありましたが、現在閉店していました。
で、看板はと思い見上げると消滅していました。
その、文房具屋さんと言うのは「松原通大和大路東入(樋口小路)轆轤町の看板が着いていた民家の向かい側やと思います。
看板は、「松原通大和大路東入二丁目上ル轆轤町」やと思います。
その、看板が着いていたと思われる家は無人になっており、表札や京都市の青いマーク
、ガスのマーク等すべて無くなっていました。
思うには、住んでいた人が引っ越したのと同時に持って行ったのやと思いたいです。
そのように思わないとやってられません。
それやったら、昨年探索した時には既に消滅していました。
Google Mapですが、映っている「紫野中粕野町南町」の看板は2階やのに消滅しています。
レトロな文房具店の看板は,「松原通大和大路東入二丁目轆轤町」でした。取り付け位置としては,厳格には”上ル”が入るべきですが。やっぱりなくなっていましたか。
それから,「紫野中粕野町南町」が行方不明というのも誠に不可解です。
でも,一方で,嬉しいこともありました。中京区のど真ん中に住む同僚に尋ねたところ,家を建て替えた時に取り外し,今も保管しているということでした。やっぱり,捨てられるものではないのでしょうね。だって,自分が生まれたときよりもずっと前からあって,しかも色あせず美しいままなら,畏敬の念を覚えるというものです。